ヒトのブログ

主に日記を書いています。

20191123_様式美、写真、体を動かすこと

(↓今日のブログを象徴するツイート) 

 

猫と話す形式が一番楽に書けますね。

 

「今日もブログを書くのニャ。今日のテーマは何ニャ?」

 

おっさん

「今日は『様式美』『写真』『体を動かすこと』といったテーマで書こうと思います」

 

「『様式美』って何ニャ?」

 

おっさん

「『様式美』というのは、これは『写真』のキーワード、テーマとセットになるのですが、要するにツイッターに対する姿勢ですね。

自分はツイッターが荒れることがあったのですが、これからは様式美を守ることで、荒れなくなるんじゃないかと思います」

 

「たまに自暴自棄のようなツイートをしていたのを見たニャ。

それで、様式美というのはどういうことニャ?」

 

おっさん

「様式美というのは、ツイッターで写真を添付するということです。

文章ばかりツイートするというのは、どうにも自分のスタイルに合っていなかった、そんな気がしました。

かといって、記事や動画の共有リンクとかいうのも、違っているというか。

考えてみると、簡単なことでした。

記事や動画というのは、素敵なものですが、結局『自分』ではないわけです。

他の世界の話なんです。自分の世界ではない。ある意味『異世界』です。

だから、動画ばっかりというのは、自分の世界がおろそかになる」

 

「歩きスマホみたいなものかニャ?画面じゃなくて、目の前を見るべきニャ」

 

おっさん

「そうかもね。

それで、『自分の思っていることを呟く』なら、『自分』かというと、これもまた一筋縄ではないんですよね。

人間は心だけで生きているわけではない。『心技体』と言われるように、心というのは体やその他の要因と一体となっているんだ。

『自分の思っていることを呟いてばかり』というのは、偏っている。

だから、現実のものを映し出す、『写真』というものを取り入れることで、バランスがとれるって思うんだ。

心はいくらでもイメージを広げたり、あるいは迷ったりすることもできるけど、写真というのを入れると、心は現実のおかげで、迷わなくなる」

 

「『百聞は一見に如かず』ってことかニャ?」

 

おっさん

「そう……なのかな?どうだろう。

とにかく、『写真』というものを取り入れれば、ツイッターが明るくなるって感じはしたよ。

この前『祭り』っていう話をしたけど、写真を撮るっていうのも、ある意味『祭り』みたいな感じだね。

だって、『カメラのレンズを対象に向けて、ボタンを押す』っていうのは、儀式と言えば儀式って言える。それに、レンズ越しであったとしても、対象を『見ている』というのは、そこに『愛情』がわずかでもあるはずなんだ」

 

「なるほどニャ。写真を入れることで、つまりは現実を愛しているという表現にもなるのニャ。

程度の差こそあれ、俗にいう『リア充』になるのニャ」

 

おっさん

「そうだね。それで、写真付きのツイートというのは、『様式美』だなって思った。

人気なツイートというのは写真がある場合が多い。

写真のないツイートもあるとは思うけど、それは画像だったり、動画だったり、イラストだったりしても、そこには愛情があるんだ。だから、愛情には愛情が寄ってくる。

文章だけのツイートであっても、リアル、あるいはバーチャルの場所だとか存在についてツイートしているのは、やはり魅力がある。

ポイントは、『自分』について言っているのか、『自分以外の対象』について言っているのか、ということ。

自分について言っちゃいけないわけじゃないけど、感情的なことだったら、目に見えないし触れないから、管理も難しいと思う。

そもそも、「われ思うゆえにわれ在り」っていうデカルトの言葉は違う気がするんだよね。

思うためには意識が必要だけど、意識というのは空間が無ければ、時間が無ければ存在しえない」

 

「難しい話になってきたニャ。猫が箱に入れられる実験の話になりそうな気がしたニャ」

 

おっさん

「ごめんごめん。

簡単に言うと、自分について語るっていうのは、難しいことだということ。

鏡がないと、自分の顔は見れないでしょ?あれと同じです。

まあ、それでも左右は逆かもしれませんが。

で、結局何が言いたいかというと、『自分じゃなくて他を見る』ってことだったんだ」

 

「ニャるほど」

 

おっさん

「それが『写真』ってことね。

で、『様式美』っていうのは、実際にツイッターで『写真付き』にすることで、百聞は一見に如かずで見やすくなるし、価値も上がるわけだ。そのことだね」

 

「それじゃ最後のキーワード『体を動かすこと』というのは何ニャ?」

 

おっさん

「実はこれも、他のキーワードと関連しています。

写真について、さっき『儀式』って言ったけど、この『儀式』というのが、『体を動かす』ってことなんです。

体を動かすには『意志』が要りますよね。

だから、逆説的に、『体を動かしていれば意志が強くなる』ということが言えるんです」

 

「冒頭のツイートにあったニャ。

洗濯カゴはなんだったのニャ?赤い飾りとか」

 

おっさん

「あれは生活を文字通り輝かせるための、100均で買った飾りだね。

そして、カゴというのは、画像じゃわからないけど、カゴを使って、体を動かすパフォーマンスをしてたんだ。創作ダンスみたいな」

 

「リングフィットのパクリだニャ」

 

おっさん

「そうだね。そういう感じで、体を動かすという、アクションを何かしら入れることで、やる気がわいてくることがわかったんだ。

その最初が、『写真』だった。

写真というのは、家の外に飛び出して、アクティブにならないと撮れないからね。

まあ最初は寝っ転がった状態で天井を撮ったんだけど」

 

「寝っ転がってできる、まともな行為というのは、寝ること以外に無いのニャ」

 

おっさん

「そうだね。僕もそう思って、今日はずいぶん眠れたよ」

 

「そろそろまとめるのニャ」

 

おっさん

「うん。まず『様式美』については『様式やルールに従うと、その世界で成功する』ということ。『郷に入れば郷に従え』という私の座右の銘に近いですね。

次に『写真』については『ツイッターで安定するために写真を撮ろう』ということ。ツイッター以外でも撮るのもいいかも。写真を趣味にするのも悪くない!

そして最後に『体を動かすこと』については『儀式や振り付けによって、生活をよりパワフルに』かな。要するに『祭り』ってことだね。やっぱここに行きつく」

 

「全然まとまってる気がしないのニャ」

 

「素晴らしい記事だったってことさえ覚えておけばいい!

忘れたらまた見に来ればいいよ」

 

「そうするニャ~」