20191116_スマホと人間
猫
「人間は、先の見えない状況を楽しんでいるのかニャ~?」
変人
「そうかもね~。ゲームとかスポーツとか、結果が見えていたらつまらないよね」
猫
「不確定性というか、不安というか、そういうものに熱狂するのかニャ~。
確かに、前の日記でも『緊張と緩和』あるいは不安定と安定というものが魅力につながるということを書いていたみたいだけど、似てるかもね、似てるかもニャ」
変人
「ああ、書いたね。あと、動画とか広告とか、そういうものって不安を煽ったり、気になったりする文句で誘惑しているんだよね。
スマホというのは、人間が依存しやすいような仕組みがいっぱいなんだよ。
SNSとかメールとか」
猫
「未知の塊なんだニャ~。
スマホを使う人間ほど、スマート(賢い人)に見えないのニャ~。
問題なのは、そのせいで人間が『うつ』になっていることニャ~」
変人
「そうだね。そういう緊張や興奮で生きてきた人間は、それらがなくなった、不要となったような状態になると、活力を失うというか。
もしかしたら認知症とか、そういう状態も似ているのかもね。
ワーカホリックとかも関係あるかなぁ」
猫
「人間が自分で未来を選ぼうとしないのは、諦めなんじゃないかニャ?
自分で選んでいないとか、不本意な現状だとか、そういうのを受け入れて、消化しきれていないみたいニャ」
変人
「『言われたことをする』っていうのとは、また違うんだね。
その『受け入れる』というか『自分で決める』というのは」
猫
「自分で決めていたら、志していたら、不安定な未来はむしろ嫌になるはずニャ」
変人
「まあ、学校教育の時点で、創造性は奪われていますからねぇ」
猫
「今『好きなことで生きていく』っていうのは、そういう現状の反動かもしれないのニャ」
変人
「でも、世界が『本来あるべき状態』じゃないから、魂が嘆いているんだね」
猫
「あきらめているのかニャ?」
変人
「あきらめている?ああ、そうか、あきらめた人間が、不安に依存するのか。
よし、俺はあきらめないぞ」
猫
「自己実現かニャ?具体的にはどうする」
変人
「とりあえず、ブログかな。引き続き。
そして、部屋の掃除。これも引き続き。
あとは、世界と相談する」
猫
「人間もテレパシーを使うといいのニャ」